被災地、宮城県南三陸町へ
「メイクアップを通じて、美と笑顔を提供する」
プロジェクト『美』(勝手に命名)が、無事終了致しました!
その結果と、現地の様子をご報告させていただきます。
まず初めに、今回の被災地行きの提案者である
辻社長、よしもとさんに、現地到着の遅れと連絡の行き違いにより
多大なご迷惑をかけてしまったことをお詫び致します。
大変、申し訳ありませんでした…
では、ここからは時系列に沿って、写真付きで。
【4月8日晩】
がっつり残業を終わらせ、車を回収に実家へ。
少しでもモノが積めるように車内を片付けてくれていたり、
ガソリンを満タンにしておいてくれた両親に感謝感謝。
21時過ぎごろ、メンバーたちと自分たちで集めた&皆さまからいただいた
支援物資の仕分け作業を開始!
ありがたいことに仕分けをしながら次々と
物資を持参して下さったり宅急便が届いたりするので、
ダンボールの大きさを調整したり数を数えたりするのに四苦八苦。

「まとまった数を、一つのダンボールに一種類」
が支援物資の大原則ですが、これがなかなか難しい…
化粧品という属性柄、どこに分類すればいいのかわからないものもあるし…
何事も、やってみないとわかりませんね。
「とっとと仕分けぐらいして、被災者にもの配ってやれよ」
とか軽々しく行政に文句を言えなくなってしまいました(苦笑)。
0時過ぎ、皆さんの善意が一つに!

車の中がパンパンだぜ…
午前1時過ぎ、南三陸町に向かっていざ出発!
【南三陸町到着、物資受け渡し】
うっかり下道に降りる出口を間違え、
壮絶に道に迷うというアクシデントがあったものの、
予定から遅れること約2時間で現地に到着。
途中までの市街地は、電柱の傾きや瓦の崩壊などが見られるものの
一見すると普通の街並みと言えなくもない。
「本当にこの先に、ニュースで見たような光景があるのだろうか…」
と思いながら車を走らせていると、
本当に「突然」景色が変わるポイントがありました。



ただただ、絶句の一言…
あまりの非現実感に、今だって気持ちは消化できていません。
自衛隊が整備した一本道を走り、
まずは個人ボランティア活動家の中村さんに情報をもらい
物資の届け先として薦められた「志津川中学校」に。

卒業式は、行われたんだね…

周りはすべて流されているのに、
何故か残った学校の学訓が記載された石碑。
存在感と重みを感じます。
小高い丘の上にある志津川中学校の敷地に入ると、
支援物資の受付窓口が設置されていました。


ここで積極的に働いていたのが、
なんと高校一年生の女の子、みおちゃん。
化粧水、美容液ですと言って渡すと
「やった!これ、みんな欲しがってたんです!!」
と大喜び。
ニーズ調査のため、他に必要なものはないかと聞くと
「一番欲しかったものは、今もらえましたよっ!!」
とまで言ってくれて、
本当に持ってきた甲斐があったと感動。
お役にたてて良かった!
ちなみに今回渡したものをもう一度整理すると、
・化粧水
・美容液、保湿クリーム
・ハンドクリーム
・リップクリーム
・顔、身体の拭きとりシート
・メイク落とし
・コットン
・鏡
・DVDプレイヤー替わりのプレステ2←
以上です。
どれも喜ばれましたが、
鏡なんかは本当に一枚もなかったようです。
少し物資倉庫を覗いたところ、
お米や豆などの食料品は
「一生かかっても食えないんじゃない…?」
というくらいたくさん、天井近くまで積み上がってましたし、
タオルや毛布などの「一次救援物資品」も数多くある様子でした。
やはり、需要と供給の乖離が著しい時期にきていることを痛感します。
もちろんまだ食料すら満足には行き届いていない「孤立避難所」も
ある可能性はありますが、少なくとも行政に指定されている学校や公民館などの
公的避難所では、一般的な支援物資は溢れているようです。
色々と話しを聞かせてくれたみおちゃんたちにお礼をいい、
今回の支援イベントの本体が行われているベイサイドアリーナへ。
【ベイサイドアリーナ】
「自衛隊やボランティアも多くて、人がものすごい。
一つの街みたいになってるよ」
とみおちゃんに教えてもらって着いたベイサイドですが、
本当に凄いことになってました。広大な駐車スペースはすでに満杯。




でっかいビジョンは設置されているし、
夜になると野球場の照明みたいなのが点灯されます。
建物の中は冷暖房完備。
ただ、避難している人は廊下にまで溢れて
それぞれダンボールで仕切った床に寝泊りしている感じで
プライベートなんて夢のまた夢の世界でした。空気も濁っています。
遅れてきてしまったので野外に居場所がなく
(雨だったのでスペースが限られていた)、
たい焼き屋台などの企画が盛り上がるのを横目に
「こちらはこれだけボランティアがきて、盛り上がっている。
それに比べて志津川中学校は本当に閑散としていた。
僕らが必要とされているのは、ここじゃないんじゃないか…」
そうメンバーの誰もが感じ、
急遽メイク企画を行うのを志津川中学校に変更することに。
実はこの時、辻社長やよしもとさんは企画をやるスペースを
予め押さえていてくれたそうで、人ごみの中でそれを発見できず、
また連絡を取らずに勝手な判断をして好意を無にしてしまいました。
これは深く反省。。
そして志津川中学校に戻り、ようやっと美容ボランティアを
開始するわけですが、長くなってきたので次回に続く。