2011年10月11日

【後編】ミャンマー旅行記 -バイバイ、ビルマ-

【4、5日目 パガン〜ヤンゴン】


パガンの朝。
地元の薬を処方した栗田が、超回復をっ!

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見せなかった。

この日の夕方に、長距離バスでパガン〜ヤンゴンに移動予定だが、
流石にこのままの状態で長時間移動はヤヴァイだろうと病院に搬送することに。


ホテルの人に相談し、地元の病院を予約してもらい、車で病院へ。
街中にひょこっとある何の気のない民家から、ちょび髭の
いかにも怪しいドクターが登場。

とりあえず診察室に栗田をぶち込み待合室で待っていると、

「オトキタさーん、英語がわかりませーん

という情けない栗田の悲痛な叫び声が。。

仕方ない、俺様が助けてやろう!
と診察室に颯爽とログインし、イギリスに留学していたという
ドクターの英語を拝聴するも、これがまったくわからない(死)。


「エィンファクション、エインファクション!」
「エンティヴォルス!エンティヴォルス!」

???


どうしようもないので電子辞書を取り出して
単語を打ち込んでもらうと、

「infection(伝染病)」
「anti-virus(アンチウィルス)」

でした。
発音おかしいだろjk…


要は伝染病にかかったらしく、
ウィルスを除去する薬を処方するぜ、ということだったらしい。

それ以上詳しく聞いても無駄だと悟った我々は、
薬と領収書をGetしてとっととホテルに戻り
伝染病患者の栗田をホテルの一室に隔離した。←


ヤンゴンへは夕方発の夜行バスで出発予定だったので、
俺と植松さんは再びレンタサイクルでパガンを観光。

午前中はまたもずっと雨で閉じ込められたものの、
見逃した細かいパゴダたちを写真に納め、日本人慰霊碑などをお参り。


そして夕方出発の夜行バスでパガン〜ヤンゴンへ移動。
医者の薬パワーもあってか栗田も多少の回復をしたらしく、
◯◯◯を漏らすことなく早朝にヤンゴンに到着した。


得てして首都というのはあまり見るものがないのだが、
残りの1日でミャンマー最大の聖地

「シュレタゴンパヤー」

を観光したり。

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ここは観光地化しながらもまだ「聖地」として
宗教機能を残している珍しい寺院で、植松さんがやたらと感銘を受けてました。

あと午後に「ミャンマー民俗村」なる施設に遠出してみたけど、
ここにある少数民族文化はだいたい全部パチモンだったと思います。

33.jpg

実際モン族の村にホームステイ(?)してた俺が言うのだから間違いない!


そんなこんなで、あっという間に最終日も夜になり。
外国の首都で、最後の夜にやることと言ったら…


盛り場の現調(現場調査、現地調査)でしょうっ!


共産主義国家だろうが軍政国家だろうが、
いかがわしいプレイスポットの一つや二つは必ずあるもの。
そういうところにこそ「国の文化」ってやつが詰まっているのではないだろうか?!

という詭弁も満載に、あっさりと日和ってホテルで留守番を選択した
植松さんと栗田を置き去りにして、ヤンゴンの闇に颯爽と消える俺。


単騎突入したヤンゴンのディスコ(色んな意味で変わったディスコ)では…

流暢な英語をしゃべるインド人とパキスタン人のハーフの娘をナンパして失敗したり。
中国人の多さと「最近、日本人が減った」という話しに国力低下を感じたり。

でも明らかにお金が唸ってます風の商社のオッサン(日本人)が
両脇に女の子をはべらしてるのを見てなんとなく安心したり。
黒服の兄ちゃんにアレやコレのミャンマー裏話を聞いてみたり。


ショーを見たりフリータイムにフロアで踊ったりしながら、
ウイスキー飲んで酔っ払ってたらあっという間に閉店の0時。

「女の子はいらんのか?一晩たったの3万チャット(4000円くらい)だぞ?」

という黒服の薦めを断ってホテルに帰還。
お部屋に帰ると、植松さんと栗田くんは気持ちよさそうに寝ていました。


そんなこんなで、あっという間にミャンマーでの5日間が過ぎ…。


朝一番の便で空港を出発、バンコクに8時間だけ立ち寄った後に
現実と仕事がたっぷりと待つ日本への帰国の途に着いたのでした。


--


(総評)

「なんでミャンマー?」「何しに行ったの?」

というのは行く前も行った後も良く聞かれましたが(苦笑)、
総じてミャンマーは非常に良い国でした!

そもそもミャンマーに行くきっかけになったのは
僕の場合『辺境ライター』と言われる高野秀行さんの本がきっかけで。


「ビルマ・アヘン王国滞在記」
「西南シルクロードは密林に消える」
「ミャンマーの柳生一族」


あたりを読み、日本のすぐ近くに歴史的に関わりがこんなにも深く、
民族的な対立や環境が中東よりも複雑怪奇な国があるなんて!
…と衝撃を受けたことが、今回の目的地チョイスにつながっていました。

結果は、大正解。

有名な観光地や綺麗なリゾート地があることも大切ですが
僕のような貧乏旅行をする場合に何よりも大切なのは、やっぱり人。

行った人は誰もが口にするように、ミャンマーの人々は本当に笑顔が気持ちいい、
親切で正直な人ばかりでした。ぼったくりも(ほぼ)なかったし。


タイなんかはすっかり観光客慣れしていて、タイ語で挨拶しても
ニコリともしない人たちばっかりだけれど、ミャンマーでは
頑張ってビルマ語で挨拶をすれば抜群の笑顔を返してくれます。

ビルマ語はとっつきにくいので、「こんにちは」や「ありがとう」すら
観光客はめんどくさがって覚えないらしく、それゆえそれを口にすれば
ディスコにいた強面のお兄ちゃんすら笑顔になるくらいでした(笑)。


「ミンガラーバー!(こんにちは!)」
「チェーズーティンバーデー!(ありがとうございます!)」


この2つをスラっと言えるようになるだけで
三日間もかかったけれど、たぶん一生忘れない言葉でしょう。


一方、平和そうに見える人々と街並みの裏で。


この国はまだ完全な民主国家ではなく、闇レートが横行し、
インターネットの接続もあからさまに制限されている。
街中に政府のスパイがいるなんて噂もある。人々だって決して豊かじゃない。


うーん、複雑。。
それゆえに、不思議な魅力のある国です。


やはり一度行った国は身近に感じるもので、
最近では新聞の国際面でもミャンマーのニュースが気になる日々。
バングラデシュに続く次代の生産拠点としても、注目を集めるミャンマー。

日本からたったの8時間、時差もわずか2.5時間。
いずれまた、必ず行ってみたい国の一つになったのでした。

ほとんどの人には馴染みはないと思いますが、
少しでも気になった方はぜひ上記の本をお読みいただくか、
何かの機会に足を運んでみていただければ幸いです。

ねえ、栗田くん?!

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(完)
posted by おときたしゅん。 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ミャンマー旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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