2011年12月27日

東北の子どもたちに、 'Merry Christmas.'

あっという間に今年のクリスマスも終わっちゃいましたね。

一気に街がトーンダウンしたようで、
祭のあとのような虚無感を感じたり感じなかったり。


そんな中、今年は宣言通り、2週間連続で東北に向かい
3イベント4回に渡るカステラ製作を行なってまいりました。

なお、これらのイベント実施に際して
2つの団体から多額の寄付をいただきまして。


クレドアンドカンパニー株式会社
http://credo-a-company.jp/

TOMORU
http://www.facebook.com/pages/TOMORU/304649742897372?sk=info


どちらも僕の大学時代からの友人が立ち上げた会社・団体です。
この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!



【12/17 あすと長町 仮設住宅地】


長町に作られた仮設住宅のど真ん中で行われる
チャリティーイベントにふらいパンダ参上。

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後ろに連なって見える建物が仮設住宅地です。
天候にも恵まれ(極寒だったけど)、上質なかすてらを焼き上げました!

2.jpg

あら美味しそう。
子どもも、数は少ないながらとても喜んでくれました。

しかしながら…


「仮設住宅は問題がたくさんある」
「住民同士のコミュニケーションが取れない」
「孤独死、自殺を防がなくてはならない」


という話は良く聞いていましたが、
初めて仮設住宅の敷地に入って、そこで生活する人に触れて、
そう言われる理由が少しだけわかった気がします。

中央の広場でお祭りがやっていても
かたくなに扉を閉ざして参加を拒む住居や、
冷ややかな目線を投げかけて足早に去ってしまう住民の方もいる。


住み慣れた家がなくなって、半ば共同生活を強いられ、
不便で冷たい住宅で暮らす人々の心のうちはいかばかりか。

自分たちにできることが、まだ無邪気な子供たちと遊ぶことだけかと思うと
少しだけしょんぼりもしてしまうのでした。


【12/17夜 勾当台公園ナイトペーシェント】

3.jpg

夜は場所を移して、イルミネーションイベントを盛り上げるために参加。

夜 & 極寒という逆境を乗り越え、過去最高の行列ができる中
100名以上の人々に出来立てで暖かいカステラを配布しました!

4.JPG

6月に長町でカステラを焼いたときにも出会った方と再会したり、
僧侶(?)をしているという女性の方から


「私たちは身内にも犠牲者が出た。僧侶だから四国まで行ってお遍路を完遂したけれど、
 あなた方はそんなことよりずっとずっと尊いことをしている。ゆかりもない他人のために
 こんな素敵なことをするなんて、とても簡単にできることじゃない。本当にありがとう」


という有り難いお言葉(と、寄付金まで!)をいただきまして。
分不相応な評価に、今度はちょっと照れくさくなってみたり、ね。


【12/24, 25 気仙沼南町復興商店街】

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そしてクリスマスイブと当日は気仙沼へ。

津波の被害を直接被り、壊滅してしまった商店街。
プレハブの仮設ではあるけれど、半分以上のお店がもう一度集まって
「商店街」という形でもう一度復活することができたそうです。

そんなおめでたいイベントに、パンダが呼ばれぬわけがない!
さて、いつも通りカステラを焼くか…と思いきや。


「地元の洋菓子屋さんが営業を再会したので、
 協力してクリスマスケーキにして欲しい。

 デカイから形崩さずにフライパンから出すの難しいと思うけど、
 そこはほらアレだ、気合?よろしく!」


という、恐ろしい課題を当日朝にイベント主催者の葛西姉さんから課せられる。
どうなるかわからんけど、こうなりゃなんでもやってやんよー!!

6.jpg

ちょっと割れちゃったけど、
案外とうまくフライパンから救出成功!

7.jpg

プロであるサイトウ社長の手で、
あっという間にカステラがショートケーキの下地になっていく。
これは本当に圧巻でした。

そしてサイトウ社長がサポートする中、
気仙沼の子供たちがみんなでケーキをデコレーション!

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9.jpg

この光景には、周りの大人たちも思わずほっこり。
そして…

10.jpg

完成!

肝心の味ですが、ここまで想いとプロの手が入ったオリジナルケーキ。
美味しくないわけがないっ!!

焼きたての暖かいカステラも捨てがたいけれど、
新しい可能性と喜びに気づくことができたクリスマスバージョンでした。

※全国紙にも取り上げていただきました!

読売新聞Web版
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20111225-OYT8T00799.htm

毎日新聞WEb版
http://mainichi.jp/select/photo/archive/news/2011/12/24/20111225k0000m040082000c.html

--


怒涛の2週連続開催を終えて、
今年度のふらいパンダとしての支援活動は終了となります。

人生でこんなに東北に行く機会があるなんてまったく思ってなかったけれど、
改めてに数えてみたら4月から10回以上、計30日近く滞在していました。
預金通帳も真っ赤になりました(苦笑)。


最初は何をすればいいか、わからなかった。
少しするとやるべきことが山ほど出てきて、
目の前にある瓦礫やヘドロの山と闘った。

でもまた少し時間が立つにつれて、またわからなくなった。
単純な肉体労働はなくなった。ボランティアの数も、世間の関心も激減した。

それでもまだ、何かをしなければいけないとは感じていた。
あれだけの大災害が、たった半年で風化するわけがない。
都会の人たちから忘れられていく被災地に、僕はなにができるのだろう…。


そしてたどり着いた答えに、
今なら少しだけ自信が持てる気がします。


気仙沼に出発する直前にいただいた、
「イイネ!Communication Project賞」。

その授賞式でのスピーチで、
今の想いを述べさせていただいたので
手前味噌ながらその原稿を一部掲載させていただきます。

受賞する前提で、内容原稿まで用意してたっていうね(笑)。


◆◆◆

我々ふらいパンダは、東北の子供たちと絵本の世界に出てくるような
巨大かすてらを作るという、一風変わった復興支援を行なっています。

見る人が見れば、いわばお遊びとも言える活動ですから、
被災地のど真ん中で活動する中で正直、様々な葛藤があります。

しかし、とある学校にかすてらを焼きに言ったとき、校長先生にこう言われました。


「ふらいパンダは、被災地の子供たちを特別扱いしないのがすごくいい。」 


たくさんのNPOやボランティア団体が東北に復興支援に入っていますが、
復興とは日常を取り戻すことです。

子供たちの本来の日常に、我々のようなNPO、ボランティア団体は登場しません。
だから我々は復興支援をしながらも、子供たちにそんな説明は一切しません。

ただ遠くからきたお兄さんたちが、かすてらを作って一緒に遊ぶ。
そんな気持ちで、これからも支援を続けていきたいと思っています。

◆◆◆


子どもの頃に夢見たサンタさんは
欲しいものをなんでもくれる、無敵で万能な存在でした。

サンタさんの正体は本当はただの大人たちで、大人になった今の僕たちは
失ったものを取り戻すことも、欲しいものを与えてあげることもできないけれど。

あれだけのつらい想いをした子供たちに、
明るい出来事がなかったら悲しいじゃない。


東北の子供たちに、一日も早く日常が戻りますように。
強く強く願いを込めて…


Merry Christmas.


ふらいパンダ副代表
オトキタシュン
posted by おときたしゅん。 at 01:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

シャンゼリゼ通りの闘い -もう一つのレジスタンス-

※花の都、巴里の想い出を書き綴ろうと思ったわけですが、
 結果から申し上げるとたいへん下世話な内容となりましたことを
 あらかじめ深くお詫び申し上げます。敬具


先週1週間は、とうとうパリに行かせていただきました。
出張なのできちんと仕事(?)もしていたわけで、日記を細かく書くことはできませんが、
せっかくなので想い出深かった出来事の一つでもなんか書きたいと思います。


憧れの街、パリ。


そこでの1週間は、すべてが完璧だった。
どこを切り取っても絵になる街並み。威厳ある本社での仕事。合間の観光。
毎晩フレンチのディナー、ムーランルージュにセーヌ川クルーズ…

そんな滞在もいよいよ最後の夜。
エッフェル塔のふもとで豪華なディナーを堪能した後、
同僚の女性たちと夜のシャンゼリゼ通りに最後のショッピングに向かった。


シャンゼリゼ通りはすでに、クリスマスの準備モード。
木々にはキラキラと輝く装飾がなされ、直線の先には聳え立つ凱旋門。
ああ、なんと美しい街並み…ここにいる僕はさながら、ドラマの主人公か貴公子か…

悦に浸っていたその時、


突然の便意が僕を強襲してきた。


幼少の頃よりお腹が弱く、
年中苦しめられてきた俺にはわかる。


こ い つ は モ ノ ホ ン だ 。


ふっ、流石はおフランス。一筋縄では帰してくれないというわけか…。
よかろう、俺もサムライの国から来た男!日本男子の肛門括約筋の力を見せてくれr

などと余裕をかましてられたのは5分くらいだった。
ヤヴァイ、漏れる。マジ無理。ほんと無理。


しかもここは、世界でも最もオシャレで美しいシャンゼリゼ通り。
公衆トイレなどという、景観を損ねるものは当然常設されていない。
よもや、この美しさがアダになろうとはっ…!

それ以前に、今は女性たちと団体行動中である。
異国の地でレディーを放置してトイレに駆け込むなど、
当然紳士に許される行為ではない。

必死に表情を押し殺し、冷静な会話に努める俺。
首尾よくショッピング施設に入りしばしの自由行動となった瞬間、
一目散に英語がしゃべれそうな女性店員のもとへ突撃した。


「ヘイ、マドモワゼル!トイレ貸してください!」
「ノン、ここに貴方が使えるトイレはないわ。メルシー」


メルシーじゃねぇぇぇ

ここで引き下がれるかぁー!
文字通り、パリの美しい想い出が汚されるかどうかがかかってんだよ!!


「お嬢さん、いま僕のお腹にはTSUNAMIが襲ってきているのです」
「Oh、日本のTSUNAMIのことは聞いてるわ…とても大変だったのね」

「そうです、いまも東京の街並みは、パリに比べてとても暗い。」
「ええ!半年以上経ってもまだ…」

「そんな東京から来た僕に灯りをともすために、友人としてトイレを貸してくれまいか?」
「OK、この建物内は無理だけど、隣のカフェと交渉してあげる」

※一部脚色がありますが、だいたい本当にこんな会話です
※東北のみなさんゴメンナサイ


わざわざ建物から外に出て、隣のカフェまで案内してくれる店員さん。
こ、これで勝つる!パリは親切な人ばっかりやー!

しかし、カフェのトイレに駆け込んだ僕に、新たな絶望が襲った。


ガチッ


…やっぱりだよ!
こういう時に、すんなり大に入れた試しがねぇよ!

雄叫びに近い唸り声を上げながら、トイレ内で悶絶する日本人男性。
ハタから見たら、いやハタから見なくても完全に狂気の沙汰だ。
シャンゼリゼ通りまで来て僕は、一体ナニをやっているのだろう…

ありったけの力を振り絞って肛門括約筋を振り絞るも、
容赦なく打ち付けてくるフレンチ・ビッグウェーブ。
こ、これがフォアグラの力…!


僕の脳裏に、とあるブログ記事が走馬灯のように浮かんできた。
それは32歳になって、◯◯コを漏らしてしまった人の魂の日記だった。


「僕は大事マンブラザーズバンドの『それが大事』が大好きだった。
 負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと…それが一番大事。
 でも、それは大嘘だった。一番大事なのは、ウ◯◯を漏らさないことだ


まったくだよ!
負けないとか信じるとか、ガチでどうでもいいから!
ウ◯◯さえ漏らさなければ、あたい寿命が10年縮まってもいい。

「それが大事」が脳内にリフレインしながら待つこと1分。
僕の目に、個室のノブの上にある細い穴が飛び込んできた。

…まさか。

そうかっ!このトイレは、有料式だったんだ!
外国に良くある、コインを入れると開く形式ですね!!

この閃きが舞い降りたことで、俺は心から神に感謝した。
もうあたい、改宗する。カトリックになる。※フランスはカトリックの国です。

喜び勇んで財布から小銭を取り出し、
コイン投入口に勢い良くねじ込むオトキタ(28歳独身、会社員)。


が、ダメっ!!


このとき僕が持っていたのは、1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨のみ。
どうみてもコインの投入口は、それより細かいお金のものだった。

ぐにゃあ…

もうダメだ。。視界は歪み、肛門括約筋は緩んできた。
漏らしたら、どうやって対処すればいいのだろう。

タクシーに乗る?論外だ。
日本ですらパンツの中にイチモツを抱えながら乗車する度胸はない。

歩いて帰る?それも無理だろう。
異臭を放ちながらガニマタで夜の巴里を徘徊していたら
騎馬警官に射殺されるか、そのままバスチーユ監獄にブチこまれても文句は言えない。


やはり、パスポートを破り捨ててセーヌ川に飛び込むしかない…。
半ばそんな覚悟を決めた僕の前に、小を足しにきた一人のムッシュが現れた。

恥も外聞もねえぇぇ!
聞くはいっときの恥、漏らすは一生の恥!!


「ヘイ、ムッシュ!小銭もってませんか!!?」
「ん?トイレに入りたいのかい?そのトイレは確かに20セント硬貨が必要だね…」
「そうなんです!僕は今、世界で一番20セント硬貨を欲している男です!」

「そうかい、じゃあ両替してあげよう。えーと、小銭で1ユーロがあるかなぁ…」
「ムッシュ!そんな悠長なヒマはありません!1ユーロいや、
 2ユーロ硬貨と20セントを交換しましょう!

※1ユーロ=100セント
※上記の会話は完全にノンフィクションです


ムッシュからひったくるように20セント硬貨を受け取り、2ユーロ硬貨を押し付け、
苦笑いするムッシュを横目に個室へ風よりも早く飛び込むオトキタ(28歳独身、会社員)。


URYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!!!!!!!!


…勝った。俺は勝ったのだ。

この時、俺は確信したね。
凱旋門とは、僕のこの勝利のためにあったのだ…と。
(違います)


--


というわけで皆さん、これから僕のことをナポレオンと讃えていいよ!

「えぇ、漏らした方がネタとして面白かったのに…」

と少しでも思ったアナタ!
僕も少しだけそう思ったが、リアルに想像して欲しい。
異国の地でその状態は正直、強盗に遭うより恐ろしい事態だぞ!!

東京も寒くなってきた折、みんなも体調と胃腸の管理には気を付けようね!
オヴォワール!(時差ボケきついっす)
posted by おときたしゅん。 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 愛と虐殺の傑作選! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

【後編】ミャンマー旅行記 -バイバイ、ビルマ-

【4、5日目 パガン〜ヤンゴン】


パガンの朝。
地元の薬を処方した栗田が、超回復をっ!

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見せなかった。

この日の夕方に、長距離バスでパガン〜ヤンゴンに移動予定だが、
流石にこのままの状態で長時間移動はヤヴァイだろうと病院に搬送することに。


ホテルの人に相談し、地元の病院を予約してもらい、車で病院へ。
街中にひょこっとある何の気のない民家から、ちょび髭の
いかにも怪しいドクターが登場。

とりあえず診察室に栗田をぶち込み待合室で待っていると、

「オトキタさーん、英語がわかりませーん

という情けない栗田の悲痛な叫び声が。。

仕方ない、俺様が助けてやろう!
と診察室に颯爽とログインし、イギリスに留学していたという
ドクターの英語を拝聴するも、これがまったくわからない(死)。


「エィンファクション、エインファクション!」
「エンティヴォルス!エンティヴォルス!」

???


どうしようもないので電子辞書を取り出して
単語を打ち込んでもらうと、

「infection(伝染病)」
「anti-virus(アンチウィルス)」

でした。
発音おかしいだろjk…


要は伝染病にかかったらしく、
ウィルスを除去する薬を処方するぜ、ということだったらしい。

それ以上詳しく聞いても無駄だと悟った我々は、
薬と領収書をGetしてとっととホテルに戻り
伝染病患者の栗田をホテルの一室に隔離した。←


ヤンゴンへは夕方発の夜行バスで出発予定だったので、
俺と植松さんは再びレンタサイクルでパガンを観光。

午前中はまたもずっと雨で閉じ込められたものの、
見逃した細かいパゴダたちを写真に納め、日本人慰霊碑などをお参り。


そして夕方出発の夜行バスでパガン〜ヤンゴンへ移動。
医者の薬パワーもあってか栗田も多少の回復をしたらしく、
◯◯◯を漏らすことなく早朝にヤンゴンに到着した。


得てして首都というのはあまり見るものがないのだが、
残りの1日でミャンマー最大の聖地

「シュレタゴンパヤー」

を観光したり。

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ここは観光地化しながらもまだ「聖地」として
宗教機能を残している珍しい寺院で、植松さんがやたらと感銘を受けてました。

あと午後に「ミャンマー民俗村」なる施設に遠出してみたけど、
ここにある少数民族文化はだいたい全部パチモンだったと思います。

33.jpg

実際モン族の村にホームステイ(?)してた俺が言うのだから間違いない!


そんなこんなで、あっという間に最終日も夜になり。
外国の首都で、最後の夜にやることと言ったら…


盛り場の現調(現場調査、現地調査)でしょうっ!


共産主義国家だろうが軍政国家だろうが、
いかがわしいプレイスポットの一つや二つは必ずあるもの。
そういうところにこそ「国の文化」ってやつが詰まっているのではないだろうか?!

という詭弁も満載に、あっさりと日和ってホテルで留守番を選択した
植松さんと栗田を置き去りにして、ヤンゴンの闇に颯爽と消える俺。


単騎突入したヤンゴンのディスコ(色んな意味で変わったディスコ)では…

流暢な英語をしゃべるインド人とパキスタン人のハーフの娘をナンパして失敗したり。
中国人の多さと「最近、日本人が減った」という話しに国力低下を感じたり。

でも明らかにお金が唸ってます風の商社のオッサン(日本人)が
両脇に女の子をはべらしてるのを見てなんとなく安心したり。
黒服の兄ちゃんにアレやコレのミャンマー裏話を聞いてみたり。


ショーを見たりフリータイムにフロアで踊ったりしながら、
ウイスキー飲んで酔っ払ってたらあっという間に閉店の0時。

「女の子はいらんのか?一晩たったの3万チャット(4000円くらい)だぞ?」

という黒服の薦めを断ってホテルに帰還。
お部屋に帰ると、植松さんと栗田くんは気持ちよさそうに寝ていました。


そんなこんなで、あっという間にミャンマーでの5日間が過ぎ…。


朝一番の便で空港を出発、バンコクに8時間だけ立ち寄った後に
現実と仕事がたっぷりと待つ日本への帰国の途に着いたのでした。


--


(総評)

「なんでミャンマー?」「何しに行ったの?」

というのは行く前も行った後も良く聞かれましたが(苦笑)、
総じてミャンマーは非常に良い国でした!

そもそもミャンマーに行くきっかけになったのは
僕の場合『辺境ライター』と言われる高野秀行さんの本がきっかけで。


「ビルマ・アヘン王国滞在記」
「西南シルクロードは密林に消える」
「ミャンマーの柳生一族」


あたりを読み、日本のすぐ近くに歴史的に関わりがこんなにも深く、
民族的な対立や環境が中東よりも複雑怪奇な国があるなんて!
…と衝撃を受けたことが、今回の目的地チョイスにつながっていました。

結果は、大正解。

有名な観光地や綺麗なリゾート地があることも大切ですが
僕のような貧乏旅行をする場合に何よりも大切なのは、やっぱり人。

行った人は誰もが口にするように、ミャンマーの人々は本当に笑顔が気持ちいい、
親切で正直な人ばかりでした。ぼったくりも(ほぼ)なかったし。


タイなんかはすっかり観光客慣れしていて、タイ語で挨拶しても
ニコリともしない人たちばっかりだけれど、ミャンマーでは
頑張ってビルマ語で挨拶をすれば抜群の笑顔を返してくれます。

ビルマ語はとっつきにくいので、「こんにちは」や「ありがとう」すら
観光客はめんどくさがって覚えないらしく、それゆえそれを口にすれば
ディスコにいた強面のお兄ちゃんすら笑顔になるくらいでした(笑)。


「ミンガラーバー!(こんにちは!)」
「チェーズーティンバーデー!(ありがとうございます!)」


この2つをスラっと言えるようになるだけで
三日間もかかったけれど、たぶん一生忘れない言葉でしょう。


一方、平和そうに見える人々と街並みの裏で。


この国はまだ完全な民主国家ではなく、闇レートが横行し、
インターネットの接続もあからさまに制限されている。
街中に政府のスパイがいるなんて噂もある。人々だって決して豊かじゃない。


うーん、複雑。。
それゆえに、不思議な魅力のある国です。


やはり一度行った国は身近に感じるもので、
最近では新聞の国際面でもミャンマーのニュースが気になる日々。
バングラデシュに続く次代の生産拠点としても、注目を集めるミャンマー。

日本からたったの8時間、時差もわずか2.5時間。
いずれまた、必ず行ってみたい国の一つになったのでした。

ほとんどの人には馴染みはないと思いますが、
少しでも気になった方はぜひ上記の本をお読みいただくか、
何かの機会に足を運んでみていただければ幸いです。

ねえ、栗田くん?!

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(完)
posted by おときたしゅん。 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ミャンマー旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【中編A】ミャンマー旅行記 -栗田の3日目-

【3日目 マンダレー〜パガン】


ミャンマー随一の観光名所、パガン遺跡に向かうため
まだ暗い朝5時にホテルを出る。出発前、栗田が

「は、腹がっ…!」

ミスター・サタンの物真似をしていたが、
気にせず出発することにした。←


バスターミナルへ向かうために何の気なしにホテルの前にいた
バイクタクシーに乗ってしまったのだが、これが大失敗。

「あ、やばい今雨季だ。バイクでスコールきたらマズイなぁ…」

と思った瞬間、大粒の雨が。
そして、人生で味わったことがないほどの超スコールにレイプされる3人。
つーか、早朝からスコールなんてアリかよ?!


前がまったく見えないわ、顔面どころか体中は痛いわ、
運ちゃんはそれでもスピードを落とさずに果敢に走るわ、
バイクは3人バラバラだから途中で止まるわけにも行かないわで、

本気で死ぬんじゃないかと思いました…。

命からがらバスターミナルに到着したときには
パンツまでぐしょぐしょ。バックパックも完全浸水。
携帯電話とipodがなんとか生き残っていたのが救い。


身体の芯まで冷え切り、着替えも濡れている状況で、
朝から体調不良を訴えていた栗田さんが完全にお逝きになる。
そんな彼に畳み掛けるように

「東南アジア名物、エアコンが効き過ぎたバス車内」

が襲いかかる。
休憩でバスが止まる度に、腹を抱えて飛び出していく栗田氏を横目に、


「明日は我が身なのではないだろうか」
「でも彼はマンゴーを生で食べたのが悪いんじゃないか」
「そもそもなぜ、彼は突然市場でマンゴーを食べたのか…」


などの想いを募らせた。
一方、植松さんはピンピンして寝ていた。


6時間後の午後2時、バスは無事パガンに到着したが、
便意との闘いに終始した栗田さんのHPはどうみても既に0だった。

彼のためにパガンでも最高級のホテルにチェックインし、
彼の亡骸をベッドに安置する。栗田信行、享年26歳。

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しばし喪に服した我々は、彼の分までパガンをこの目に焼き付けようと
早速レンタサイクルを手配してパガンを駆け抜けることにした。

パガンは世界三大仏教遺跡と呼ばれる遺跡群のある地域で、
アンコールワットやボロブドゥールに比べると著しく知名度こそ低いが、
広大な敷地に無数のパゴダ(仏教遺跡)が並ぶ景色はなかなか壮観である。

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自転車で回るのも一苦労…ですが、
一番どんつきまで行くとそこにはミャンマー随一の大河、
エーヤワディー川がキラキラと輝いています。

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川幅もガンジス川に負けないくらい広く、なかなか幻想的。

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川のそばにそびえ立つパゴダ。
雰囲気◎。

あまりにも川の雰囲気が気に入ってしまったので、
ひとりずつ川との2ショット写真を納めておくことにしました。

エーヤワディー川と…

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植松!

25.jpg

オトキタ!





26.jpg

栗田!


いやぁ、いい記念写真が撮れたね。
僕には確かに、栗田くんのピースサインが見える気がするよ…

(その頃の栗田)

19.jpg

パガンの半日を漫喫した後、
夕食はガイドブックに載っていた雰囲気の良いお店で
マンダレービール片手に川エビの入ったカレーでしたづつみを打つ。

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ここのカレーがミャンマーで食べた中で一番美味しかった。
東京からわざわざ足を運んだ甲斐があったね!パガン最高!

一方、ホテルに戻ると栗田は

28.jpg

相変わらずの状態でした。
(ちょっと動いた?)


「こういう症状には、地元の薬が一番効く!」

という植松さんの言質を信じ、買ってきた下痢止めを処方。
栗田の超回復を祈り、パガンでの初日は幕を閉じたのでした。

次回でラスト!
posted by おときたしゅん。 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ミャンマー旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

【中編@】ミャンマー旅行記 -雨の2日目-

【2日目 マンダレー】


駅からまだ暗いマンダレーの街に降り立つ。
明るくなる前に知らない街を徘徊するのは得策ではないと考え、
地球の歩き方にも載っていた駅前のホテルに即決してログイン。


午前中は朝食を食べながら街の目貫通りを散策したり、
栗田が気まぐれで市場で地元の人が買うようなマンゴーを買ったり、
そのマンゴーを表皮ごとかぶりついて食べたりしていた。

この迂闊な行動が後に彼を悲劇のヒーローへと昇格させるのだが、
食べ物に人一倍気を使い、歯磨きまでミネラルウォーターでしていた彼が
どうしてこんな奇行に走ったのかは、いまだに定かではない。


昼前に突然の雨が降り始め、

「あー、雨季だからな。まあ、アジアのスコールはすぐに止むでしょ」

と思って余裕で雨宿りをしていたが、
待てど暮らせど雨脚が弱まる気配がない。

仕方なく一度ホテルに戻り、昼寝をして天候の回復を待っていたのだが、
午後になってようやく外に出れるくらいの小雨になり外に出ると、
マンダレーの街はあっさりと水没していました。

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み、道がない…。

これにより午後の行動が著しく制限され、
下水というインフラがいかに大事がを思い知る。

翌日の交通手段の確保をしたりなんだりしてたら
早くも夕暮れ時になってきたので、この街一番(唯一?)の観光スポットである
「マンダレーヒル」へ。その名の通り、丘の上に仏教の施設が色々あったりします。

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高い建物がないので、景色は良い。
有名なサンセットポイントなのだが、夕日は見えず…。

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仏像などにとんと興味はないあたくしですが、
頂上付近はアニマル天国だったので犬やネコと戯れたり、

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思わずこんなものを買ってみました。
ミャンマーに分布する少数民族の女性たちの図。
どれが一番美人かしら?僕はモン族を推します!(キリッ)


そうこうしているうちに、流暢な英語と怪しいフランス語をあやつる
現地の少女、Keiちゃんに絡まれる。

最初は「物売りか?!その手には食わんぞっ!」と警戒したものの、
形式的に商売はしているもののまったく押し売りする気配はなく、
親切で可愛いお嬢ちゃんでした。

頬に「タナカ」で可愛い模様を書いており、
興味を示したところ僕ら全員にもペイントしていくれることに。


※タナカ

ミャンマーでもっともポピュラーな化粧(日焼け止め)。
ミャンマーの女性はおしゃれ&日焼け止めのため、
ほぼ100%この肌色のクリーム(?)を頬に塗っている。

ちなみに日本人の苗字である「田中」とは関係ない。
残念。

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真剣な表情でペイントに挑むKeiちゃん。

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私的に今回の旅行で一番好きな写真がこれ。

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こうなりました。


流暢な英語で色々とマンダレーのことを教えてくれたKeiちゃんと
丘のふもとで一緒に晩御飯。

17.jpg

Keiちゃんを始め、ミャンマーの人々は
本当に親切で気持ちの良い人たちばかりでした。

18.jpg

ありがとう!

この日はホテルの近くでもう一杯飲んでから就寝。
そしてこれが、元気な栗田を見た最後の夜だったのでした。

3日目に続くー。
posted by おときたしゅん。 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ミャンマー旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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